大東亞戰爭畫報 1942年1月25日

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1942年1月25日刊

《大東亞戰爭畫報》臨時增刊:支那事変画報改題(第六年第二號  通卷第三百輯)

大阪每日新聞社 東京日日新聞社 第二號(一月廿五日發行)

破壞された橋を渡つてマニラ市街に突入するわが快速部隊



英帝國百年の牙城:香港陷落まで
僅々十八日にて日章旗飜る

大本營陸海軍部發表=(十二月廿五日午後九時四十五分)香港島の一角に餘喘を保ちつつありし敵はわが晝夜を分たざる猛攻撃により本廿五日午後五時五十分つひに降服を申出でたるをもつて軍は午後七時卅分停戰を命じたり
大本營陸海軍部發表=(廿八日午後零時卅分)香港攻略に任せし帝國陸海軍部隊は敵の降服によりその武装を解除し廿六日午後六時香港全島を占領完了せり
大本營陸海軍部發表=(廿七日午後六時)大元帥陛下には本日陸海軍幕僚長を召させられ支那派遣軍総司令官ならびに支那方面艦隊司令長官に対し左の勅語を賜はりたい

勅語
支那派遣軍及支那方面艦隊ハ緊密ナル協同ノ下ニ開戰劈頭適切ナル措置ヲ以テ在支敵國權益ヲ處理スルト共ニ迅速果敢ニ香港ヲ攻略シ英國ノ重要ナル根據ヲ覆滅シタリ
朕深ク之ヲ嘉尚ス

香港はつひに陥落した、一世紀にわたる英帝国東亞侵略の牙城もわが忠勇なる陸海将兵の猛攻にあへなくも潰えたのだ、大東亜戦争はその緒戦において早くも不滅の金字塔をうち樹て、東亞解放の巨歩はここに歴史的な前進を記録したのだつた

大東亜開戦以来香港落城まで十八日、香港島の敵前上陸に成功した十八日夜からいへば僅か八日目にして過去百年間ひるがへつてゐたユニオン.ジャックを物の見事に引き下し萬邦無比の皇軍の真価を遺憾なく発揮したものであるが、武勲赫々たる皇軍奮戦の跡を辿るとーー

十二月八日未明帝国陸海軍が西太平洋で米英軍と銭湯状態に人るとともに、わが香港攻略部隊は攻撃を開始した、同方面の陸軍最高指揮官は酒井隆中将、海軍最高指揮官は新見政一中将である、香港島は周囲わずかに二十七マイルの小島ながら、山から山、谷から谷を連ねて堅固なトーチカ、高射砲陣地、掩蔽壕、鐵條網が全島をおほひ、四周の海面はことごとく機雷原といふ文字通りの「全島要塞」を形成してをり、さらに前面の九龍半島には英国が昭和十年から今日まで十数億の巨費を投して完成した半永久築造陣地があつて金城湯池を誇称してゐた、深圳國境の彼方にあつて今日あるを深く期してゐたわが陸軍は過去一年半にわたり切り立つ数千尺の峻険に英軍陣地のトーチカ模型を造り黙々として肉弾訓練をつづけて来たのだから、戦端開始とともにわが精鋭は時を移さず八日午前三時五十分闇夜を衝いて國境線を突破、雪崩を打つて南方へ進擊した、一方海軍は英領香港および英租借地九龍の全沿岸を完全に封鎖し敵艦船を袋の鼠と化せしめたのはもちろん地上の敵陣にも猛擊を加へ、海陸の荒鷲はまた地上および海上の友軍と呼應して敵軍事施設を次々と爆碎、かくて空陸海三位一体の渾然たる立体戦は日に日に包囲圈を圧縮、九日夜半香港防衞の二〇三高地ともいふべきクィーン.メリー線を突破シソの昔鵯越の逆落しもさながらに十二日には一擧九龍岸壁に殺到した、かくて敵の本拠香港島攻略態勢は完成し、香港要塞の死命は全くわが手に制せられた

(待續)

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